オーストラリア サーフィン情報















Surfer : Joe Curren   Photo : GLASS LOVE

ローカル達は信じられないバレルの中を走っていた。本当に信じ難いパーフェクトな波だった。中でもラビットのサーフィンを見るのは最高だ。昔から雑誌で見ていたし、パーフェクトな波をのるラビットは素晴らしくスタイリッシュでキラの極上な長いバレルをメイクする、初めて雑誌で見たのと全く同じスタイルで、ラビットが目の前を走って行くのをただ突っ立て見ていた。サーフィン映画や雑誌で見ていたのと同じように、腕を後ろに組みバレルの中を走るラビットだ。そして私もラビットの様に腕を後ろの組んでサーフィンした。
Joe Curren




Surfer : Joe Curren   Photo : GLASS LOVE

スキップ・フライのフィッシュにのるジョー・カレン








Surfer : Joe Curren   Photo : GLASS LOVE

父は常にモダンで良く反応するサーフボードをシェープし続けることを要求されている。自分の息子のためにシェープする事はすごくユニークで特別な事でもあるから、私は誇りに感じている。それは楽しみでもある。
Pat Curren




Pat Curren shaping board  Photo : GLASS LOVE

このボードにのる事はパット・カレンの精神をのる事だ。父パットは本物のエクストリーム、究極を求めた男だった。波が巨大な日に入る一番大きなセットの中の一番大きな波を狙い、のる。巨大な泡を背後にしながら高いポジションとタイトなラインでのりこなすのがパットのスタイルだ。ワイメアではパット独自のラインがあった。それは高いラインを描いていた。だからパットは息子カレンのラインに合わせてシェープした。それは父とは異なるラインで、父のように一直線にボトムを目指すのではなく、波の斜面を切るように走るライン。それは親子でありながら対角線上のラインである。だからパットは波の斜面、フェイスを固守してトリムする、そして鋭角的な動きが可能なボードを削った。

サーフボードを作るために必要な道具作りから始める、そんな時代であった。サーフボードが欲しければ自分で作らなければならない、なぜなら生計のためにサーフボードを作る者は誰もいなかったからだ。だから当時からパットは、アメリカ西部の開拓者のように支配的立場にいた。家が欲しければ自分で建てる、ワゴンが欲しければ木を切り事から始める。そして道具の使い方も知らなければならない。パットが息子のためにボードをシェープするのを見れる事は素晴らしい事だった。それはヴァイオリン作りのマスターが自分が演奏するために楽器を作るのと同じだ。
Steve Pezman





Surfer : Tom Curren  Photo : GLASS LOVE

最初はパドリングをするためのボードのようにも見えた。そして浮力が多いので水の上のトップにいる感じだったが、ターンする時に実に良い感じでもあった。慣れるに従い思い通りのスピードを得られるようになり、チャレンジするような状況になればなる程、このボードは素晴らしく反応した。
-Tom Curren


父がハワイ・オアフ島のノースショアーへ1年間行った事から話は始まる。カリフォルニアに戻ると夏の間は、大波に適したデザインのボードを削っていた。そしてまたハワイへ行く、を繰り返していた。そんな事をしている連中が多くいたが父は飛び抜けて目立っていたそうだ。 驚くべき事に父は再びビッグウエーブに戻って来た。さらに加えると、父のボードは実際に芸術の域に達したもので、大波では今以て普遍のデザインである。あの大波をつかまえる為にパドリングが絶対的に不可欠である。
- Tom Curren




Surfer : Tom Curren  Photo : GLASS LOVE

トムがあのボードにのるなんて…本当に驚きで興奮した。トムは自分なりの方法であのボードにのる事が好きだった。親父が削り、そのボードで親父は大波をのり、それは親父にとって特別な感情だったはずだ。親父が自分の手で削り上げたボードにのる、木で作られたボードだ。息子にとってもこれは最高の事だ。昔、親父が大波にのったボードでサーフィン出来るなんて、それは金とか全く関係ない世界だ。それはともかく特別な事で、ある人にとっては多くを意味する。

自分のために、それ以上の理由はない。

-Joe Curren


<<Back l Next>>

(c)2005 www.ozartsurf.com All rights reserved.
     
 

Chapter-1

Steve Pezman recounting a conversation he had with Dr Timothy Leary  in 1976

「1976年、ティモシー・レアリー博士との会話を回想するスティーブ・ペズマン」

Chapter-2
Neal Purchase Jnr


Rabbit Bartholemew on Neal Purchase Jnr
「ウェイン・ラビット・バーソローミューが語るニール・パーチェス・ジュニア」

Chapter-3
Curren Family

Joe Curren on his father Pat shaping him a board
「父パットがジョー・カレンのためにシェープしたボードについて語る」

Steve Pezman talking about Pat Curren
「スティーブ・ペズマン、パット・カレンを語る」

「父がジョーに削ったサーフボードにのるトム・カレン」

Tom Curren on his father Pat
「父パットについて語るトム・カレン」

「ジョー・カレンが語る父パットが削ったウッドボードにのるトム・カレンについて」

Chapter-4
Neal Purchase Jnr & Joe Curren

Chapter-5
Albert Falzon on Michael Peterson
「アルビー・ファルゾンが語るマイケル・ピーターソン」

Derek Hynd on the Evolution of Australian Style
「デレク・ハインドが語るオーストラリア流スタイルでのサーフィンの進化」

Garth Dickenson on Shane Herring and style
「ガス・ディッカーソンが語るシェーン・ヘリングとスタイルについて」

Martyn Worthington on the spirit of surfing
「マーティン・ワーティンソンが語るサーフィンの精神」

Chapter-6

Respect The Planet And The Creatures That Make It Their Home
「この地球と、ここを故郷とする創造物へ敬意を払う」