オーストラリア サーフィン情報















Littile Avalon  Photo : GLASS LOVE

ティモシー・レアリー博士はサーファーを人類の先駆者(神)としてとらえていた。それは人類の屑、人類の無責任な部分とは正反対に位置する存在である。 また博士は、人間の最も崇高な運命とは宇宙的な純粋な禁欲主義状態へ発展しつつある存在形態と描写した。それは生命を持つ種のひとつとして人間が到達し得る最高のゴール、到達点である。 歴史的に振り返れば、人間は豊かな生活を求めて川岸に面した断崖絶壁に商業都市国家を建設しながら発展した。その日の糧を蓄える事から始まり、必要以上の糧を蓄える事に専念して、蓄えている糧の量が多ければ成功者として認められた。しかし博士は、それは偽りの偉業で、存在理由すら偽りと強く語った。サーファーは、地上のどの部族より早くこの事実、「ダンスこそが全てであること」を悟っていた。サーファーこそ見習うべき生きたる見本である。

博士曰く、「今、ここに、存在する/Be Here Now」という完璧なサンプル、それがサーファーである。そしてチューブライディングこそ完璧な実例である。君はそこで連綿と続く時間の中の一瞬のために生き、君はバレルになるチューブに包み込まれ、君の波跡は背後に消えつつ、君の足跡は砂上の波に洗い去られる。
君がどこにいたか、君がどこへ行くつもりかは問題ではない。その瞬間どこにいるかが全てだ。サーファーはそのために生き、その瞬間を少しでも多く得る為にサーファーは人生を設計している..。ある意味で、この事実こそ地上で生活する人間が求め得られる最高位置への到達なのである。また教授は、これを信条とするならば他の人間をその頂点に導くための努力を惜しんではいけない、受け身にレイドバックして他の人がチャレンジするのを眺めているというものではなく、これは戦いであると懇切する。君は実際、擁護する立場であると同様に堅固に主張しなければならない。人々をそこへ導く努力を惜しんではいけない。

かくして私は、人間とはこの使命を実行する事で社会秩序へ参加する部族だという考えるに至った。 さらに教授は陸と海との境界線を維持する事の重要性を語り、富の蓄積など、ダンスに見合うだけの価値がない事を教えてくれた。   博士との会話で、私はサーファーであること、波を求め、波にのり人生を送ることはOKと確信出来た。さらに私は歳をとり波乗りの技量が衰えようとも、心が身体に取って代わる事も知った。肉体が衰えても努力を続ければ依然として100%でいられる。私のサーフィンが衰えようとも、そこから得られる喜び、報酬は依然として完璧で、得るべき価値のあるものである。

― Steve Pezman


 

ウエイン・リンチが1967年にシェープしたTRACKER、時代はサイケデリックの洗礼の最中だった。 極寒のビクトリアで独りサーフィンするウエインがいるアウトサイドに裸でパドルするのはテリー・フィッツジェラルド家の次男ジョエルである。アンドリューは日本を訪れた時に東京渋谷で文明の限界と、サザンオールスターズがコカコーラを飲んで歌う「波乗りジョニー」は誤ったサーフィンの象徴を見た。一方、ナット・ヤングのバックサイドはノースナラビーン、1969年である。この映像は「モーニング・オブ・ジ・アース」からである。


Surfer : Wayne Lynch
Photo : GLASS LOVE

 

 

続いてはガス・ディッカーソンがツインフィンフィッシュでチューブの中を走る。場所はLA、ロスではない、Littile Avalonの略、チューブが浅い岩棚でクルクル巻いている良い波だが、テイクオフのエリアは6畳もなくビジターがテイクオフするのは無理。ビッグウエーブにクルリと方向転換してクレージーなテイクオフをするのはジョエル・フィッツジェラルド。場所はマンリー南のリーフ、通称デッドマン。年に何度かしか本領を発揮しないだけに一旦われ始めるとスーパーセッションが繰り広げられるポイントだ。

Surfer : Garth Dickenson
Photo : GLASS LOVE

 

 

スキップ・フライがシェープするフィッシュ、そのボードにのるトム・カレン、場所はアイルランド。デレク・ハインドが立案実行したコンテストで撮影されている。スキップ・フライのサーフィンも同じ場所で撮影されているが、優雅なグライドは以前より洗練されているらしい。後ろを滑るのはデレク・ハインド。もちろんスキップがシェープしたボードにのっている。

 

Surfer : Tom Curren
Photo : GLASS LOVE

 

 

63歳になるステーブ・ぺズマンのサーフィンは華麗で優雅だ。波と戯れる基本精神が完成しているのであろう。カリフォルニアのマリブポイントである。サーフィン誌を1誌だけ隔離された世界で購読出来るなら迷わずサーファー・ザ・ジャーナルと答える。当たり前かも知れない。

 

 

Surfer :Steve Pezman
Photo : GLASS LOVE

 


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スティーブ・ペズマン


1942年カリフォルニア出身、1971年から91年まで20年間USサーファー誌を発行。91年からは広告を最小限にしたサーファーズ・ジャーナル誌を発行して現在に至る。

ティモシー・レアリー博士




カリフォルニア大バークリー校で心理学の博士号を取得後、ハーバード大学教授だった1963年、幻覚剤を学生と実験した事から解雇。その後は「LSDのメシア(救世主)」としてヒッピー文化のシンボルになった。1997年他界、本人の遺言通りに米セレスティス社により宇宙に打ち上げられた。

 
  Chapter-1

Steve Pezman recounting a conversation he had with Dr Timothy Leary  in 1976

「1976年、ティモシー・レアリー博士との会話を回想するスティーブ・ペズマン」

Chapter-2
Neal Purchase Jnr


Rabbit Bartholemew on Neal Purchase Jnr
「ウェイン・ラビット・バーソローミューが語るニール・パーチェス・ジュニア」

Chapter-3
Curren Family

Joe Curren on his father Pat shaping him a board
「父パットがジョー・カレンのためにシェープしたボードについて語る」

Steve Pezman talking about Pat Curren
「スティーブ・ペズマン、パット・カレンを語る」

「父がジョーに削ったサーフボードにのるトム・カレン」

Tom Curren on his father Pat
「父パットについて語るトム・カレン」

「ジョー・カレンが語る父パットが削ったウッドボードにのるトム・カレンについて」

Chapter-4
Neal Purchase Jnr & Joe Curren

Chapter-5
Albert Falzon on Michael Peterson
「アルビー・ファルゾンが語るマイケル・ピーターソン」

Derek Hynd on the Evolution of Australian Style
「デレク・ハインドが語るオーストラリア流スタイルでのサーフィンの進化」

Garth Dickenson on Shane Herring and style
「ガス・ディッカーソンが語るシェーン・ヘリングとスタイルについて」

Martyn Worthington on the spirit of surfing
「マーティン・ワーティンソンが語るサーフィンの精神」

Chapter-6

Respect The Planet And The Creatures That Make It Their Home
「この地球と、ここを故郷とする創造物へ敬意を払う」